社会の見方
社会について学ぶ手段は様々である。
テレビ、新聞などのオールドメディア、SNSなどのニューメディア、書籍、学校の教育などである。しかし、それらのほとんどは(当たり前のことであるが)「作られた社会の見方」である。
例えば、次のような社会の見方は我々の習慣になっていないだろうか。それは「アメリカが」「ヨーロッパが」「中国が」「日本が」と国家を主語にする社会の見方である。
しかし、よく考えてみると、「アメリカ」とは何だろうか。それは政府?企業?国民?企業の中でも大企業?中小企業?と分からないことだらけである。
しかし、大きな主語(抽象的な主語)は物事を「分かった気にさせる」ことのできる魔力を持つが、そこには実体はない。そのような大きな主語は多くのメディアでイメージ操作に使われる。中国脅威論などはその典型例ではないだろうか。
ではどのような見方の例があるだろうか。下記でも十分大きな主語ではあるが、国家単位よりは社会を見る上では役立つのではなかろうか。
・政府
・中央銀行・銀行
経営者・正社員・非正規雇用者
・多国籍企業:金融・軍事・製薬・IT・エネルギー・食料
・プラットフォーマー:GAFAMなど
これらの分類を考えると、「アメリカ」「中国」「日本」という国家単位では見えないことも見えてくる。国民も全く一枚岩ではないし、政策に対して得をする集団もあれば損をする集団もある。社会を考える際は、「国家の中のどのレイヤーの人々がそれを主張しているのか?」を考えると、より社会の見方が研ぎ澄まされていくのではなかろうか。