座右の銘は「中庸」

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宮台・藤井『神なき時代の日本蘇生プラン』(2022)を読んで

 『神なき時代の日本蘇生プラン』を読んだので、その感想を書いておきたいと思います。本書は京都大学教授で『表芸者クライテリオン』編集長の藤井聡東京都立大学教授で社会学者の宮台真司の対談本です。

 内容は現代日本社会学的な課題について、藤井氏と宮台氏が忌憚なき意見を交わしあうものですが、専門家にならず、「総合的な知」を重視する2人による現代社会の分析は非常に鋭く、示唆に富んでいます。また、ただの現代社会批判にとどまらず、きちんと処方箋を用意している点も素晴らしく、我々がどのように人間性を取り戻し、「善き生」を謳歌できるかは結局一人一人の意識にかかっているという点で、共同体の重要性や、メディアにおける発信者の責任、教育の重要性を考えさせられました。また、本書は都市計画、宗教、憲法天皇メタバースなど話題が多岐にわたり、総合知をもって議論する大切さを改めて感じる良書でした。

 

◎「閉ざされ」と「開かれ」

①閉ざされ

 まず、本書の前提として、「クズ」と「共同体的な個人」の違いを認識することが重要でしょう。宮台氏の定義によるとクズとは「言葉の自動機械・法の奴隷・損得マシーン」ということになります。その特徴を列挙すると下記の通りとなります。

 ・剥き出しの生(ホモ=サケル)

・「世間」の喪失→所属集団のヒラメとキョロメ

・どう行動すれば最も自分が得をするかしか考えない

 ・沈みかけた船の座席争いをする

 ・「個人」概念への執着

 ・インテリは敵(「村の神童」→「故郷に錦を飾る」流れの喪失)

 ・孤独により、「実存の問題」と「社会の問題」の混同

 →浅ましくもさもしいエゴイズムゆえの他責化

 ・生命至上主義

 ・親友がいない

 

 いずれもパンチの効いた言葉が並んでおり、流石としか言いようがないのですが、まずは自覚することが大事だという著者の意見には賛同しかありません。オルテガニーチェの危惧した「大衆」「末人」に我々はどんどん近づいており、それは安全・便利・効率を追求した果てに「失ったもの」に対して無自覚であることから生じた現象だということです。「失ったもの」は何かを自覚し、「人間とはどのようなものか」の考察が肝要なのでしょう。

損得マシーンが政治をどのようにしてしまうのかという点については以下のYouTubeがおすすめです。 「利益>友情」となる大人がいかに圧力団体を作って政治をするかが分かりやすくまとめられています。

【参考動画】Dreamers TV「農協、経団連、日本医師会

 

 

②開かれ

 上記の「閉ざされ」とは対照的に描かれるのが「開かれ」です。「言葉の外・法の外・損得の外」での人のシンクロが行われる個人の在り方で、かつての共同体では当たり前の景色だったものです。パスカルの「人間は考える葦である」という言葉は有名ですが、一本一本は独立しているように見えて、地下茎でつながっているという藤井氏の話は非常に興味深かったです。それでは、開かれの特徴を以下に列挙してみましょう。

 ・我々意識(仲間を幸せにできなければ、自分も幸せになれない)

 ・家族共同体・会社共同体

 ・アソシエーショニズム

 ・友人関係のメンテナンス

 ・アニミズム「人に限らないつながりの全体からの視座」

 ・個人の損得を超えた視座を持つ力

 

 頭山満の「お前がまともか、クズかだけを見ている」という言葉は示唆に富んでいます。彼はイデオロギーに関係なく、クズかどうかを判断基準にしていたという。現代はちょっとでも考え方が違うと相手の人格を否定したり、SNS上で悪口を言って同じ考えの人が群がるという気持ち悪い現象がところどころで見られます。しかし、イデオロギーは実は生まれつき決まっているという説もあり、大事なのはイデオロギーではなく、その人が共同体の中に根差した利他的な人間か否かなのです。イデオロギーについては以下の動画も参考になるので是非。

【参考動画】Dreamers TV「あなたが左寄りか右寄りかは遺伝子によって決まっている」 

 

 また、著者は「症状としての言説」と「価値に基づく言説」を区別せよ、と言っています。症状とは言葉の自動機械と言い換えても良いのですが、昨今のSNS上での誹謗中傷などは目的を欠いた「症状としての言説」に溢れており、そのような情報で埋め尽くされた我々はよほどの分別がなければ言葉の荒波に飲まれてしまうでしょう。

 

 

◎未来の二極化

 本書にもある通り、最も洗練された民主政の規範的描写はアンソニー・ギデンズトクヴィルを参考に「共同体が個人を支え、個人が国家を支え、国家が共同体を支える」という三項循環となります。現代はこの共同体が安全・便利・効率の名のもと、空洞化し続けており、国家や企業が個人を直接統治するという形態に移行しています。

 我々の未来を考えると次の二極化が進んでいくのではないかと予想されます。

 ①企業・政府が個人を直接統治する中央集権的テクノロジー監視社会体制

 ②資本主義の無限の膨張を疑う人々による地域コミュニティの復活

私は言わずもがな②の立場です。現在、コロナやウクライナ戦争をきっかけとして、社会の矛盾に気づく人々も増え、その実現可能性は高まっていると感じています。本書でも紹介されているヨーロッパの事例も活用しつつ、日本らしさを残した「焚き火が普通にできる共同体」を作れたらいいなと思う今日この頃。

 

【参考コラム】コミュニティー・パワーの島:デンマーク・サムソ島